感染症指定医療機関の浸水想定状況について
全国の感染症指定医療機関の浸水想定状況の調査結果を取りまとめました。(2020年4月27日)
論文情報
タイトル
全国の感染症指定医療機関の浸水想定状況の調査報告
著 者
野原 大督 (京都大学防災研究所・水資源環境研究センター 助教、調査代表者)
角 哲也 (京都大学防災研究所・水資源環境研究センター センター長・教授)
※なお、本調査のとりまとめにあたり、京都大学防災研究所水資源環境研究センターの田中茂信教授にご助言を頂きました。ここに記して厚く御礼申し上げます。
調査報告書
調査概要
我が国で感染症医療の拠点となるのが、感染症指定医療機関です。世界的に流行中の新型コロナウイルス感染症も、感染症指定医療機関を中心に各地で懸命な医療が続けられています。こうした医療機関が大規模な洪水時にどの程度影響を受ける可能性があるかは、地域の公衆衛生にとっても重要な観点だと考えられます。
京都大学防災研究所 野原大督助教、角哲也教授らの研究グループでは、このたび、全国の感染症病床を有する372の感染症指定医療機関の浸水想定の状況を調査しました。その結果、河川計画の基準となる規模の洪水ではおよそ4分の1の医療機関で、想定される最大規模の洪水でおよそ3分の1の医療機関で浸水が想定されていました。この割合は、特定感染症指定医療機関と第一種感染症指定医療機関に限って見て場合に、いずれの規模の洪水でも増加し、想定最大規模では半数近くの医療機関で浸水することが想定されていました。このことは、大規模な水害が全国のどこかで生じた場合に、その地域の感染症指定医療機関が浸水するような事態が発生する可能性が必ずしも小さくないことを示しています。
最大想定浸水深が2~3mまたはそれ以上となる医療機関も、計画規模で約14%、想定最大規模で約27%と3割弱に上りました。特に、特定感染症指定医療機関と第一種感染症指定医療機関では、およそ4割の医療機関が該当し、特に一類感染症に対する医療体制の維持に対する深刻なリスクが潜む状況がうかがえました。この場合、土嚢や止水板の設置などの浸水防止対策によって浸水を防ぐことは困難であるため、建物内の浸水を前提に対策を考える必要があります。特に入院患者や医療機能の水平避難が困難である場合には、感染症対策の面では感染症病床の上層階への設置、電気回路の防水化や非常用電源や自家発電設備の上層階への設置などを検討する必要があると考えられます。
また、中には最大想定浸水深が10m以上となる医療機関も見られました。こうした医療機関では、設備配置の工夫や垂直避難などの自衛的な対策のみでは浸水リスクに対応しきれない可能性がある。従って、これをサポートする地域の水防活動の強化や上流ダムの事前放流など浸水深を抑えるような治水施設の高度な運用、医療機関全体の避難の受入れ先の確保など、医療機関と行政の治水・防災部局、厚生・保健部局の連携が重要になると考えられます。
調査の目的
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大に伴い、各地の医療現場では医療スタッフらによる懸命な対応が続いています。我が国でこうした感染症に対する医療の拠点となるのが、感染症指定医療機関です。近年、我が国では大規模な水害が相次いで発生しており、水害避難の重要性が盛んに議論されていますが、特殊な感染症患者の医療を担当する感染症指定医療機関などでは、感染症対策の都合、患者の状況、必要となる設備の特殊性などから、避難に通常より長い時間を要したり、避難そのものが困難となったりする可能性が懸念されます。また、浸水に伴う感染症指定医療機関の機能停止は、地域の感染症医療体制の弱体化を招き、特に昨今のように特殊な感染症が流行している最中においては公衆衛生の危機に繋がりかねないと考えられます。
本調査では、このような課題認識のもと、洪水時における感染症指定医療機関の浸水の危険性を把握し、もって感染症指定医療機関を含めた地域の水害対応計画の向上に資することを目的として、大規模な洪水の発生時における感染症指定医療機関の浸水想定状況を調査しました。
調査結果を踏まえて
調査結果を踏まえて強調したいことは、以下の通りです。
(1) 訴えたいこと
- 新型コロナウイルスによる「感染症」と「大規模水害」の「複合災害」を意識する必要がある。
- 水害時に水平避難が困難な状況が考えられ、特段の水害対応が必要
- 医療機関、医療・保健部局は感染症対策で手一杯なので、防災・治水対応部局が、梅雨期・台風期に備えて特段の側面支援を今から行う必要がある
(2) 早急に行うべきこと
- 水害リスクの発生要因の再確認: 河川の外水氾濫、小河川の内水氾濫、河川の合流部・狭窄部直上流など。これらの要因は、西日本豪雨における小田川(岡山県倉敷市真備町)、台風19号の阿武隈川(宮城県伊具郡丸森町)・越辺川(埼玉県)、千曲川破堤などに関連。
- 直接的な浸水対策: 病院の防水機能強化として、雨水侵入ルートの確認と防水板の設置、自家発電施設の耐水化(2重化)など。
- 間接的な浸水対策: 近接堤防の水防対応強化(土嚢確保)、ポンプ車の重点手配、上流ダムの治水機能強化など。
(3) 中長期的に行うべきこと
- 感染症指定医療機関の立地条件の適正化(水害リスクも十分に考慮する)
- バックアップ体制(指定医療機関の2重化)の構築
このうち、(2)の3.に記載の上流ダムの治水機能強化については、京都大学は、(独)水資源機構・(財)日本気象協会と共同で、SIP(内閣府・戦略的イノベーション創造プログラム)による「アンサンブル事前放流」技術を開発中です。本技術開発の枠組みを活用して、以下のようなことに取り組みたいと考えています。
- 15日前からの長時間アンサンブル降雨予測と流出予測の高精度化により、ダムの治水機能を高める事前放流を確実に実施する
- SIP技術も活用し、感染症指定医療機関を下流に抱える上流ダムがあれば、その治水機能を一段と高めるべく関係者で連携協議
(※参考までに、東日本大震災時には、下流河川堤防の地盤沈下に伴い、多目的ダムの貯水容量配分を一時的に見直して、上流ダムの治水機能を高めた事例があります 。)
研究者のコメント
水害対応計画や水害時の事業継続計画(BCP)は事業者たる医療機関によって策定されるものであり、当事者である多くの医療機関では、既にこうした洪水リスクを念頭においた対策が既に進められているものと推察します。しかし、上述のような洪水リスクに見合った事業継続計画が用意されていない医療機関がある場合には、本調査結果が洪水リスクの認知度や備えの向上に少しでも資するようであれば幸いです。
なお、研究者の意見としては、新型コロナウイルス感染症の対応に地域によっては医療が逼迫している現状を考えれば、水害対応計画や事業継続計画が浸水想定に照らして不十分であると考えられる場合でも、計画規模や想定最大規模の洪水の発生頻度を考えれば、こうした洪水が次の出水期に発生する危険性は否定できないものの、現状の医療体制の維持を損ねてまでこれらの計画の向上に力を注がなければならないほどの蓋然性は無く、医療機関において直ちに計画の改善に相応の人的資源を割くことは現実的ではありません。新型コロナウイルス感染症の流行がピークを過ぎ、医療に余裕が生じたタイミングで本格的に対応する方が現実的であると考えます。一方で、行政の治水・防災担当部局にあっては、最近の異常洪水の頻発化を受けて、まもなく始まる本格的な出水期に向けて万全の対策を講じられることと思いますが、ここで指摘させていただいた医療機関を保全する視点は極めて重要であり、行政の厚生・保健部局とも連携して、現段階から出水期へ向けて時間的にある程度余裕を持った対策を進めていただきたいと考えています。
また、直ちに計画を改善できなくても、医療機関の浸水リスクを認知し関係者間で共有しておくだけでも、洪水時の初動対応を大いに改善できるものと考えられます。このとき、洪水発生の危険性をいち早く察知し、その時の患者の受入れ状況などを踏まえた水害対応計画の具体化など、対応のための時間をできる限り長く確保するためにも、数日~1週間程度の長いリードタイムを持つ降雨予測情報などを活用していくことも有用であると考えます。
本調査に関するお問い合わせ先
京都大学防災研究所水資源環境研究センター
社会・生態環境研究領域(担当:野原)
Email: kyoto.ecohydro@gmail.com
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